大判例

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東京地方裁判所 昭和44年(刑わ)6649号 判決 1970年9月11日

被告人 太田智洋

昭二二・五・二一生 大学生

主文

1、被告人を懲役六月に処する。

2、この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

3、訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、多数の学生らと昭和四四年一一月一三日午後五時過ぎ頃東京都中央区銀座四丁目所在の帝都高速度交通営団「銀座駅」附近地下道に集合したが、同日午後五時二八分頃前記学生らの集団に七、八〇本の角材が搬入され、同人らが警備に従事する警察官の身体等に共同して危害を加える目的をもつて、兇器として右多数の角材を携えて準備したのを知りながら、右多数の学生らにおいて右警察官に共同して危害を加えるに至るもやむをえないという意思で、あえて同所から立ち去らず同日午後五時三八分頃まで同集団に留まり、もつて兇器の準備があることを知つて右集団に加わり集合したものである。

(証拠の標目)(略)

なお、当裁判所は、ビデオテープ一巻(銀座四丁目附近の状況を撮影した部分で音声を除く。同号の二)を判示事実認定の資としなかつたのであるが、

弁護人は、報道機関が撮影したビデオテープを刑事事件の捜査のために用いることは憲法に認められた表現の自由を侵害するもので検察官請求の右ビデオテープ一巻は、違法な収集手続により収集されたものであるから証拠能力を欠くものであり、右は物ではないから、真に現場で作成されたものかどうかを明らかにしなければ証拠として採用できないものであるばかりか、本件立証に唯一無二の証拠である旨の立証がなされていないから証拠とならないと主張してやまないので、念のためこれに対する見解を示す。本件で証拠物として取り調べた右ビデオテープは、報道機関において取材し、保管したビデオテープそのものを押収したものではないから、昭和四四年一一月二六日の最高裁判所大法廷決定に判示されたものとは事案を異にするのである。而して写真は、科学的正確さをもつて被写体を写すもので、人の記憶を報告する報告文書より正確で反対尋問を加えることは意味がないから証拠物であり、ビデオテープは、被写体の連続した動作等を写したものであるから、その性質は写真同様証拠物であつて、前記ビデオテープは村田昌信の証言により裕にその成立の真正を認めることができる。本来放送、放映とは、受信者を特定せず、受信したい者は何人でも自由に受信することを妨げないこと及びその放映したものをいかに利用しても差支えないことを前提として電波を発散することであるから、法令により特に禁じた場合以外は、何人がこれを受信し、複写し、使用しても何ら放送、放映の権利を害するものではない(購入し、又は配達された新聞の時事報道の写真を犯罪の用に供する場合を除き、どのように使用しても妨げないのと同様である)本件ビデオテープは東京放送から放映されたニユースの映像を受信した警察官がこれを複写したもので、表現の自由を何ら侵害するものではないのみならず、時事報道に関する放映映像の複写利用を禁ずる特段の規定はないから、何ら証拠能力が否定されるいわれはない。弁護人の主張は、独自の見解を前提とした謬見でありその余の主張は証拠能力と証明力とを混同した立論であつて採用するに由がない。

(確定裁判)

被告人は、昭和四五年四月一六日東京地方裁判所で兇器準備集合罪により懲役八月、二年間執行猶予の言渡を受け、同年五月一日確定したもので、右事実は裁判所書記官各作成の判決謄本及び電話聴取書によりこれを認める。

(本位的訴因に対する判断等)

本件本位的訴因は、「被告人は、多数の学生らが警備に従事する警察官の身体等に対し、共同して危害を加える目的をもつて、昭和四四年一一月一三日午後五時三五分頃東京都中央区銀座四丁目一番二号所在の帝都高速度交通営団『銀座駅』附近に兇器として多数の火炎びん及び角材を携えて準備して集合した際、右兇器の準備があることを知つて右集団に加わり集合した。」というのであるが、右多数の学生らが右日時場所で集合したことは証拠上明らかであるけれども、本件全証拠によつても右多数の学生らが右目的で右のように兇器を準備して集合した後に、被告人がこれを知つて右集団に加わつたと認めることはできず、事案の真相は判示のとおりと認められるから、右本位的訴因はこれを採らない。

なお当裁判所は、被告人が判示のように角材多数が、その参加していた約四〇〇名の集団(本件集団と略称)に搬入されたのを知りながら同集団から離脱しなかつたことを認定したのであるが、本件集団に火炎びんの搬入されたことを知りながら離脱しなかつた点はこれを認定しなかつたので、その理由を示す。関係証拠を総合すれば、判示日時場所において本件集団とこれに接近密着して角材、火炎びんを搬入した集団(ドツキング集団と略称)とが密着した時点において、被告人は本件集団の右密着地点から後方(東銀座駅方向)へ本件集団の長さの約四分の三離れた地点の一橋大学グループの先頭にいたこと、同大学グループ中にいた桂秀行は被告人より後方にいたこと、桂はドツキング集団が角材を持つて現れたのを見ていること、判示日の午後五時二八分頃ドツキング集団が本件集団の先頭部分から七、八十本の角材を渡し、これを手にした者はその一端を天床に向けていたこと、角材は平均して本件集団員の背より一〇ないし二〇糎高く見えたので、後方にいた桂にもよく見えたことが認められる。従つて桂より前方にいた被告人もこれを認識したことは容易に推断しうるのであつて、被告人が当時角材を見ていないとの供述は弁辞に過ぎないといわざるをえず、角材搬入時より機動隊員が検挙のため右場所に進入するまで約一〇分経過したことが認められるので、被告人は本件集団から離脱しうる十分な余裕があつたのにあえて離脱しなかつたと認めざるをえない。しかしながら、右各集団の動静を本件集団の先頭部分近くの地点で目撃採証活動をしていた国井重男警部補は、本件集団の先頭部分から一〇〇ないし一五〇名の者しかその視野に入らなかつたこと、角材が前記のように本件集団へ渡されたのを認めた後、約一〇分経過した頃機動隊員数名が判示場所に駈足で来たのを見るや、本件集団の中から火炎びん五、六本が殆んど同時に投げつけられ、路上に落下発火したのを見たこと、国井警部補はそれまで終始本件集団の先頭部分近くにいながら、火炎びんが本件集団に搬入されたのを気づかなかつたことが認められるので、同人より遙か後方に位置していた被告人が火炎びんの右搬入を認識していたとは、たやすく認定し難く、他にこれを推認すべき証拠もない。而して被告人は、右火炎びんの前記発火を見てから本件集団に火炎びんのあつたことを知つたと認められるのであるが、時既に機動隊による検挙活動が開始されているので、本件集団からの離脱の余裕はなかつたというべく、その後の被告人の行動をとつて、もつて、単なる逃走行為であえて離脱しなかつたものとにわかに断じ去ることもできない。

結局、被告人が本件集団に火炎びんが搬入準備されたのを知りながら、同集団から離脱しなかつたとの点に関する証明は不十分といわなければならないが、右は単一の公訴事実の一部に関するものであるから、主文で無罪の言渡はしない。

(法令の適用)

判示所為は、刑法第二〇八条ノ二第一項後段、罰金等臨時措置法第三条に該当するところ、判示罪と前記確定裁判にかかる罪とは刑法第四五条後段の併合罪なので同法第五〇条によりまだ裁判を経ない判示罪についてさらに処断することとし、所定刑中懲役刑を選択し、その刑期範囲内で被告人を主文第一項の刑に処し、刑の執行猶予につき同法第二五条第一項を、訴訟費用を被告人に負担させる点につき刑事訴訟法第一八一条第一項本文を各適用して主文第二、第三項のとおり定める。

(量刑の事情)

本件は、自己の思想、主張を絶対視し、これが実現のため実力に訴えるのもやむをえないとの信条を持つ徒輩において衆を恃んで計画的に敢行した大胆不敵、傍若無人の所為というべきであるが、被告人はデモに参加するため多数の学生集団に参加した後、判示事態に立ち至りながら、これから離脱しなかつたもので、法の支配に服する精神に欠けるものがあり、社会人心に及ぼした影響等も軽視できず、被告人に改悛の情の片鱗も認め難く、その前科、交友関係からして今後におけるこの種の犯罪的危険性は決して軽視することができないのであつて、叙上本件犯行の手段、態様、結果等に鑑み、また近時かかる兇器を所持した集団犯罪頻発の顕著な趨勢等に想到するときは、被告人の刑責は、これをゆるがせにすることができず、右各事情に即して観れば、実刑もまたやむをえないと思われる。

しかし、他面、本件において被告人は、当初から角材、火炎びんによる斗争を知り、計画的、積極的にこれを推進し、参加したことを認めるに足りる証左はなく、親ら判示兇器を所持したり、判示警察官に暴行を加えた証跡もなく、むしろ消極的態様の犯行と認められること、まだ年が若いこと、私利私慾のための犯行ではなかつたこと、本件は余罪の関係にあること、家庭事情等被告人にとつて有利な一切の事情は十分斟酌されるべく、当裁判所は以上の諸事情を彼比較量のうえ、判示悪質な犯行にもかかわらず刑の執行を猶予するのを相当とする事案と認める。

よつて主文のとおり判決する。

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